戦後民主化と男女平等 「民主化・日本・政治」
1945年8月の第二次世界大戦敗戦後、日本の再建、民主化が急がれた。
占領軍は、日本の軍国主義の根絶のために参政権の付与による女性の解放を五大改革の一つに掲げ、12月これが実現した。
それに先だち市川房枝らは敗戦直後から参政権の要求を政府に提出していた。
1947年には、基本的人権と男女平等を掲げた日本国憲法の精神に基づき教育基本法・労働基準法が制定され、六・三・三・四制と男女共学の教育、男女同一労働同一賃金と産前産後休暇など母性保護の諸制度が決まり、第二次世界大戦前の女性運動の課題は原則的には達成された。
また、同年の民法改正では戦前の戸主制度の廃止・均分相続・結婚、離婚の平等などが、さらに刑法改正では女性にのみ適用されていた姦通罪が廃止され、法制度の面での男女平等が実現した。
しかし、現実には男女の賃金の格差や母性保護の不徹底をはじめ、民主化政策はさまざまの限界を残し、その後の女性運動の課題となった。
さらに、日本政府は敗戦直後に占領軍兵士のための性的慰安施設設置を指令、業者は特殊慰安施設協会を設け、職や家を失った女性を募り、これにあてた。
1946年、占領軍は公娼制度廃止を命じ、RAAも廃止されたが、戦後の混乱と貧困のなかで女性の性の商品化はいっそう進んだ。
このような状況のなかで、第二次世界大戦後の女性運動は、戦前からの歴史をもつ女教師、看護婦、繊維産業労働者を中心とする労働組合と、新たに生まれた婦人民主クラブ、主婦連合会など市民女性団体によって担われ、生活と平和を守ることを掲げて活発な活動が続けられた。
1949年社会主義中国の誕生、50年朝鮮戦争の勃発で日本の再軍備が進められたのに対し、女性団体は非武装中立の姿勢を強く示した。
54年のアメリカの水爆実験に対しいち早く立ち上がったのは各地の主婦たちであった。
55年、暮らしと子供と平和を守ろうとの女性の決意を込めた「日本母親大会」が開かれた。
占領軍は、日本の軍国主義の根絶のために参政権の付与による女性の解放を五大改革の一つに掲げ、12月これが実現した。
それに先だち市川房枝らは敗戦直後から参政権の要求を政府に提出していた。
1947年には、基本的人権と男女平等を掲げた日本国憲法の精神に基づき教育基本法・労働基準法が制定され、六・三・三・四制と男女共学の教育、男女同一労働同一賃金と産前産後休暇など母性保護の諸制度が決まり、第二次世界大戦前の女性運動の課題は原則的には達成された。
また、同年の民法改正では戦前の戸主制度の廃止・均分相続・結婚、離婚の平等などが、さらに刑法改正では女性にのみ適用されていた姦通罪が廃止され、法制度の面での男女平等が実現した。
しかし、現実には男女の賃金の格差や母性保護の不徹底をはじめ、民主化政策はさまざまの限界を残し、その後の女性運動の課題となった。
さらに、日本政府は敗戦直後に占領軍兵士のための性的慰安施設設置を指令、業者は特殊慰安施設協会を設け、職や家を失った女性を募り、これにあてた。
1946年、占領軍は公娼制度廃止を命じ、RAAも廃止されたが、戦後の混乱と貧困のなかで女性の性の商品化はいっそう進んだ。
このような状況のなかで、第二次世界大戦後の女性運動は、戦前からの歴史をもつ女教師、看護婦、繊維産業労働者を中心とする労働組合と、新たに生まれた婦人民主クラブ、主婦連合会など市民女性団体によって担われ、生活と平和を守ることを掲げて活発な活動が続けられた。
1949年社会主義中国の誕生、50年朝鮮戦争の勃発で日本の再軍備が進められたのに対し、女性団体は非武装中立の姿勢を強く示した。
54年のアメリカの水爆実験に対しいち早く立ち上がったのは各地の主婦たちであった。
55年、暮らしと子供と平和を守ろうとの女性の決意を込めた「日本母親大会」が開かれた。
update:2010年02月23日
